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北海道の小学生はまだ冬休み中ですが、21日は始業式ということで長くて楽しい冬休みももうすぐおしまいです。
ナガちゃん家の子供たちは、今回は珍しく宿題を終わらせたとの事で、次男の「はーちゃん」は自由研究の粘土の工作の仕上げ、長男の「りゅうりゅう」はインターネットで調べたことをまとめる作業に入ったようです。
子供たちが通っている学校では、『自由研究は全員が何かをしなさい』と、ほぼ強制してるにもかかわらず、学校の方針でそれに対する評価も指導も一切ありません。
夏休みの場合、提出した確認印すらなかったのです。
これは、学校長の意向・方針らしいのですが、自由研究は授業の一環ではないので、評価するものさし、評価するすべがないかららしいのです。
「本を10冊読みました。」と発言すれば、またそれはそれで自由研究だというのです。
「ケーキを作って食べました。」というのも立派な自由研究だと言うのです。
普通、感想文を書いたりレシピを作成したりして形や証拠にしないだろうか?
そうしなければ意味がないと昔、先生に注意されませんでしたっけ?
前回、長男の「りゅうりゅう」は、海水を煮詰めて塩にし、一定量の海水に対して何グラムの塩が採れるのか研究しましたが、担任からの評価やコメント、指導が一切なかったとのことでした。
賛否はいろいろとあると思いますが、子供の「やる気」をかきたてることのないさびしいことだとつくずく思いますね。
子供たちは、「次回から、がんばらなくてもいいや!」「やっても、やらなくてもいいや!」「テストの点さえ良ければいいや!」という気持ちになってしまう。
皆さんは、自由研究が評価され、先生に褒められ、クラスのみんなの前で紹介され、うれしくて「もっとがんばろう!」と思ったことはありませんか?
今ではゆとり教育のやり方なんでしょうから、先生は鼻クソをほじりながら、「あっ、そ〜、やってきたんだ!? ふ〜ん」ってなもんなんでしょう。
私は教育の専門家ではありませんが、努力した結果を形にして、それを褒めて指導してあげるのが教育だと思いますよ。
寂しすぎる! いつから学校は無気力人間製造所になったんだ!
熱中時代の北野先生はいないのか??(若い人は知らないだろうな〜)
| 『犬と遊ぶ』 犬の生態を知る立派な自由研究だ |
怒った後は写真を見て和んでください。
昨日、宿題を終えた長男「りゅうりゅう」と“ちょこ”が一緒に遊んでいましたが、「りゅうりゅう」が襲われているといった感じですね。
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